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2021年5月15日土曜日

表現の自由の意義

 ここから憲法の人権分野で一番重い表現の自由を概説していく。以下の「百選」は「憲法判例百選Ⅰ(第8版)」を指す。

1.素材となる事件――小説「石に泳ぐ魚」事件(最判平成 14・9・24,百選 62 事件) 

(1)事件のあらまし ⇒百選 62 事件の<事実の概要>および以下の画像を参照 のこと。










(2)当事者の主張 

ア X さんの主張 

・小説「石に泳ぐ魚」には,自分の私的なことがらがたくさん記述されており,この小説の公表に よってプライバシー名誉(憲法 13 条)が傷つけられた。 

 プライバシーや名誉は,憲法にはっきりと権利として書かれているわけではない。しかし,裁判所や学者は, このような「憲法に書かれていない権利」も,憲法によって保護されることがある,と考えている。そしてその ような「書かれていない権利」の根拠として,憲法 13 条の「幸福追求権」がもちだされる。 

イ 柳氏(Y1)と新潮社(Y2)の主張

 ①この小説のテーマは,顔面に腫瘍がある女性が「困難に満ちた<生>をいかに生きぬくか」と いう人間にとって普遍的かつ重要なものである。これは社会一般の正当な関心事であり,「石 に泳ぐ魚」は表現の自由(同 21 条 1 項)によって特に保障されるべき重要な表現物である。 

②裁判所が出版物の販売を差し止めることは,憲法が禁止する「検閲」(同 21 条 2 項)であり許されない。また,仮に検閲にあたらないとしても,裁判所による出版差止めは「事前抑制」(= 表現物が世の中に出る前に,その公表をストップさせる重大な処分)であるため,よほど悪質な表現物でない限り, 差止めを行なうことはできない。「石に泳ぐ魚」は,そのような悪質な表現物ではない。 

2.考えてみよう 

(1)基本的知識の確認

 ア なぜ表現の自由は重要なのか?――表現の自由を支える価値 

 ①自己実現の価値:個人が言論活動を通じて自己の人格を発展させる(個人の尊重。憲法 13 条)。 

 ②自己統治の価値:言論活動によって国民が政治的意思決定に関与する(国民主権。前文 1 段・1 条)。

 ⇒個々の国民が,①自由に人格を形成(自己実現)し,②主権者として国の政治に関する判断 をする(自己統治)ためには,一定の知識と判断力を必要とするが,それは,国民個々人が 自由に自己の意見を述べ,知識を交換することによって初めて可能になる。これを法的 な権利として保障するのが,表現の自由である。 

芦部信喜(高橋和之補訂)『憲法』(岩波書店,第 7 版,2019 年)180 頁。 

 ③思想の自由市場:不快な内容の言論や,誤った言論であったとしても,これを国家権力が 抑圧すべきではなく,その言論を批判する別の言論(=対抗言論)によって 対応すべし。

その根拠として,次の点が挙げられる。すなわち,国家権力によって抑圧された言論が実は真実である可能性 もあり,この場合には人々は,国による言論の抑圧のせいで真実を知る機会を奪われてしまう。また,もし抑圧 された言論が誤ったものであったとしても,その誤った言論に対し真実を対抗させることによってよりはっきり と真実を知る機会を奪われる。かくして,いずれにしても国家による言論の抑圧は害をもたらす,という点であ る(J.S.ミル『自由論』を参照)。このように「思想の自由市場」論は,「正しい見解に到達するための最も良い方 法は,さまざまな意見を自由に交わし闘わせることである」と考える。これは,「規制緩和」と似た発想である。 「規制緩和」とは,国家が悪い商品の流通を規制せず,市場の自由にまかせていたとしても,消費者はよりよい 商品のみを買い,悪い商品は売れずに市場から消えるはずであるから,商品の生産者はよりよい商品を作るよう 心がけるようになり,結果として市場には常によりよい商品が並ぶことになるはずだ,という発想である。これ と同じように,言論・表現についても,これを国が取り締まらなくても,国民の自由に任せておけば,「悪い」言 論は世の中から消え,「良い」言論だけが最終的に残るはずだ,と考えるのが,「思想の自由市場」である。この 点も含め,そのほかの表現の自由を支える価値については,最近の文献として,橋本基弘『表現の自由』(中央大学出版部,2014 年)を参照。

 ⇒(若干応用だが)特に,先に挙げた「検閲」や「事前抑制」のほか,「表現内容規制」が原則として許されないという考えかた(あるいは「表現内容中立規制」であってもその合憲性については裁判所が厳しく審査 すべきだといえる場面の根拠)につながりやすい。

イ 表現の自由の内容 

(ア)情報を伝える自由――情報の「送り手」の自由 

(イ)「知る権利」――情報の「受け手」の自由 

 a)意義

 ・判例:「報道機関の報道は,国民の『知る権利』に奉仕する」(博多駅事件決定)。 

・学説:①表現の自由は,情報の「受け手」の存在を前提としている。 

マス・メディアの発達により,情報の送り手(メディア)と受け手(一般国民)の 分離が顕著に。 

③情報の受け手(国民)の側から表現の自由を再構成する必要から,知る権利は憲 法上の表現の自由としての保障を受ける。 

・内容:①国民の「情報を入手する自由」と,②マス・メディアの「取材の自由」

 ・注意点:「知る権利」はあくまでも「国民」の知る権利であり,メディアが興味本意で知 りたいことではない。その意味で,たんなる覗き見的な好奇心の対象ではなく, 政治・社会問題などの「社会一般の正当な関心事」が,知る権利として強く保 護される。 

(b)法的性格

①自由権的性格 ⇒国家により情報入手を妨げられない権利 

②社会権的性格 ⇒国家に対し,情報公開を求める権利。情報公開請求権。 

 ・通説:情報公開請求権は「抽象的権利」(法律や条例などによる具体化がなければ,裁判において主張するこ とができない権利)。ちなみに,2001 年に情報公開法が施行されたが,この法律には 「知る権利」という文言は用いられていない。 

 ・判例:最判平成 6・1・27(百選 78 事件)⇒情報公開をめぐる初の最高裁判例として注目されたが, 特に憲法論(知る権利)についてこの判決は詳しく語っていない。 

(ウ)報道の自由・取材の自由――博多駅事件(最大決昭和 44・11・26。百選 73 事件。今回は詳述しない) 

・問題:表現の自由は,思想の自由(19 条)を基礎に置く権利として,「思想・意見」を表明す ることを保障するものであり,「事実」の報道は表現の自由で保障されないのでは? 

・判例:①「報道機関の報道は,民主主義社会において,国民が国政に関与するにつき,重要 な判断の資料を提供」するものである。したがって,「事実の報道の自由は,表現の自由を規定した憲法 21 条の保障のもとにある」。 

 ②「報道のための取材の自由も,憲法 21 条精神に照らし,十分尊重に値する」。

 ・視点:①報道の内容を政府が自由にコントロールできるとすれば,政府に都合の悪いニュー スは差し止められることになり,国民は国の政治について十分な情報が得られず, 民主主義は崩壊する。報道の自由は「民主主義の生命線」である。

 ②報道は,取材・編集・公表という一連の行為によって成立する。したがって取材は, 報道にとって不可欠の前提をなす(が,判例は,「尊重に値する」というのみで「保障される」とは明言していない)。 

*若干の応用――「知る権利」の周辺:判例の用語法 

・視点:①判例は,「知る権利」という言葉について,情報の受け手の「権利」という意味で用いる ことは必ずしも多くなく,マス・メディアの表現の自由(報道の自由)が重要だということ を強調する脈絡で,知る権利という言葉を使う(上述の博多駅事件など)。 

②他方,情報の受け手の権利それ自体が正面から扱われる際には,よど号判決(最大判昭和 58・ 6・22。百選 14 事件)以来,「様々な意見,知識,情報等に接し,これを摂取する自由」という表現が用いられる。そしてこれが,「知る自由」という言葉で略記されることもある(税関検査事件。最大判昭和 59・12・12.百選 69 事件) 

(X)情報の送り手の権利(とりわけマス・メディアの権利) 

 ①「報道の自由」:憲法 21 条 1 項の「保障のもとにある」(博多駅事件) 

     ↓(奉仕)

 「知る権利」:国民の国政参加・民主主義のための判断材料の提供(博多駅事件) 

 ②「取材の自由」:憲法 21 条 1 項の趣旨に照らし十分「尊重に値する」(博多駅事件) 

(Y)情報の受け手の権利 

①「様々な意見,知識,情報等に接し,これを摂取する自由」:憲法 21 条の規定,趣旨からその「派生原理」として当然に導かれる(よど号事件,レペタ事件(最大判平成元・3・8.百選 72 事件)) 

=「知る自由」(税関検査事件判決が,よど号事件,博多駅事件を引用して用いた表現) 

 ②「筆記行為の自由」:憲法 21 条の規定の精神に照らして「尊重に値する」が「直接保障され ているわけではない」(レペタ事件) 

(エ)アクセス権・反論権――サンケイ新聞事件(最決昭和 62・4・24,百選 82 事件)⇒略

アクセス権・反論権とは,国民がマス・メディアに対して,自己の意見の発表の場を要求する権利だと定義さ れている。なお,政府に対し情報公開を求めることや,裁判所に訴える道のことを「(政府や裁判所に対する)アクセス権」と呼ぶこともあるが,前者は「知る権利」,後者は「裁判を受ける権利」(32 条)の問題であり,ここ で扱っているアクセス権とは別物である。このようなアクセス権は,たしかに国民の表現の自由にとってはプラ スになる側面もある。しかし,マス・メディアにとっては,その反論を掲載・公表するためのスペース・時間を 確保しなければならなくなり,そのぶん他に伝えたい情報が伝えられなくなってしまう。また,常に言われた側 (国民)の反論をマス・メディアが公表しなければならないということになると,政治家や有名人に対する批判 記事を書きにくくなってしまう(萎縮的効果)。つまり,マス・メディア自身の表現の自由(報道の自由)へのダ メージも大きい。そのため,このようなアクセス権は,憲法からは直接導くことはできず,法律による具体化が ない限りは認められないと一般に考えられている。最高裁判所も,上記のサンケイ新聞事件で,たとえばマス・ メディアが他人の名誉棄損を行い,それが違法といえる(不法行為(民法 709 条)が成立する)場合,その名誉 を回復する手段として,民法 723 条を根拠に,このような反論権・アクセス権を認めることはできるとしつつも, こういう名誉棄損が成立する場合以外は,憲法を直接の根拠にアクセス権を認めることはできない(法律による 具体化等が必要)と述べている。なお,民法 723 条は,名誉を回復する手段を裁判所が命じることができると定 めている法律である。前回扱った謝罪広告もこれに基づいて出される。この謝罪広告を求める権利や,民法 723 条に基づく反論権は,表現の自由というよりも,名誉権・人格権(憲法 13 条)を究極の根拠にする権利だと構成 するほうが自然かもしれない。

ウ 表現の自由の限界――「自由」とはいっても,何を言ってもよいわけではない 

・視点:①もっとも,どんなに表現の自由が重要だといっても,これを無制限のものだと考え ることはできない。表現活動によって重大な害悪がもたらされることもある(大声で の夜中の演説,他人の家に政治ビラを張る,など)。表現の自由にも,制約が必要な場合がある。 

 ②というよりも,表現の自由だけでなく,日本国憲法が保障する自由・権利(=人権) には常に限界がある。「無制限の権利」・「絶対の権利」というものはない。

*人権の限界について:基礎編――比較衡量の重要性(応用編:二重の基準・三段階審査の詳細は後で) ⇒ 憲法 12 条後段(「濫用」の禁止,「公共の福祉」),憲法 13 条後段(「公共の福祉」) 

(ア)濫用とは 

・内容:ある人権をある局面のもとにおいて保障した場合,これによって得られる利益と, これによって失われる利益(=「公共の福祉」)とを比べ, ① 得られる利益が重い場合→人権は保障される。 ② 失われる利益が重い場合→「濫用」にあたり人権は保障されない(人権の限界)。

 ⇒このような頭の使い方(理論)のことを,比較衡量と呼ぶ。 

(イ)類型 

①人権と他者の権利との衡量(例,表現の自由とプライバシーとの衝突。「石に泳ぐ魚」事件はこのパターン) 

②人権と社会的利益との衡量(例,表現の自由と国家秘密との衝突。「西山記者事件」(後述)はこのパターン) 

⇒このような,ある人権(たとえば表現の自由)とぶつかっている利益,つまり他者の権利会的利益(公共の利益)のことを,「公共の福祉」という。 

 なお,従来の教科書類では,「公共の福祉」とは,「人権相互の矛盾・衝突を回避するための実質的公平の原理」 であり,人権を制約できる公共の福祉とは「他者の権利」だけだ(「社会全体の利益」は公共の福祉ではない)と いう主張がなされてきた(一元的内在的制約説)。芦部・前掲書 101 頁など。しかし少なくとも最高裁判所は,公共の福祉の内容を「他者の権利」には限定していない。また,最近の学説では,公共の福祉の内容として,他者 の権利だけでなく,さまざまな社会的利益も含めて考える見解が有力になりつつある。学生向けでは,宍戸常寿 『憲法解釈論の応用と展開』(日本評論社,2011 年)5 頁,曽我部真裕『憲法論点教室』(日本評論社,2012 年) 69 頁以下〔同執筆〕などを参照。くわしくは,内野正幸「国益は人権の制約を正当化する」長谷部恭男編『リー ディングズ現代の憲法』(日本評論社,1995 年)39 頁,長尾一紘『基本権解釈と利益衡量の法理』(中央大学出版 部,2012 年)81 頁以下なども参照。また,そもそも通説的な見解自身,総論レベルでは「人権を制約できるのは 他人の人権のみ」といいつつ,各論レベルではこの見解を貫いていない。たとえば公務員の政治活動(憲法 21 条) や労働基本権(同 28 条)は,いま法律で厳しく制限されているが,この制限を正当化する公共の福祉とは何かと いう点につき,通説的見解は「憲法が公務員関係の存在と自律性を憲法秩序の構成要素として認めていること」 だとしている。少なくともこれが「他者の権利」ではないことは明らかであろう。

(ウ)注意点 

① 裁判は,利益と利益との衝突の場である。裁判所の判断(=判例)を読むときには,その事件で,当事者がどのような憲法上の権利・利益を主張し,それに対して反対の当事 者がどのような利益を主張しているのかをまず見極めることが大事である。 

② そして次に,その対立している双方の利益を秤に載せて,どちらがより重いのかを判 断することが必要となる(比較衡量)。 

③ その際に注意しておくべきことは,それらの利益のうち,どちらが重いのかはあらか じめ決まっているわけではない,という点である。「常に」表現の自由が優位するとか, 「絶対に」公共の福祉(=他人の権利や社会的利益)が優位するなどということはありえない。 どちらが勝つかは「ケース・バイ・ケース」だ,ということを意識しておくことが重要である。 

④ ただし,表現の自由は,先に述べたように非常に重要な人権なので,「原則として」表現の自由が優位する,と考えることはできる。「表現の自由の優越的地位」とか「二重の基準の理論」などと呼ばれる(もっとも,その場合でも,表現の自由が「絶対」に優位するわけではないことに注意。)。なお,学者の多くは,この「比較衡量」という考え方に批判的であるが。 その理由として,比較衡量論だと裁判の結論が裁判官の個人的な価値判断に左右される恐れがあること,個人 の権利と社会的利益を漠然と秤にかけると後者のほうが重くなりがちであること,などが挙げられている。芦部・ 前掲書 202 頁。 裁判所は基本的にこの「比較衡量」という考え方にしたがって裁判をしている。 

(2)事件(「石に泳ぐ魚」事件)の解決のしかた 

ア 最高裁判所はどう判断したか。⇒百選 62 事件の<判旨>を参照。 

イ 理解のポイント

・視点:

①この事件には,日本国憲法の目から見ると,柳氏の主張している表現の自由(憲法 21 条 1 項)と,X さんが主張している名誉・プライバシー(憲法 13 条)のどちらが重いの か,という問題が含まれている。より細かく言うと, 

ア)表現の自由とプライバシーが衝突する場合,これをどのように解決すべきか 

(イ)表現の自由と名誉が衝突する場合,これをどのように解決すべきか。 

(ウ)名誉・プライバシーを救済するために,特に裁判所が出版物の差止めを行う ことは,憲法の禁止する「検閲」(憲法 21 条 2 項)にあたるのではないか 

という問題が含まれている。ここでは(ア)について検討する。 

 ②それでは,表現の自由とプライバシーという二つの権利・利益がぶつかった場合, これをどのように解決すべきか。考え方としては,次の三つの可能性がある。 

 (ⅰ)常に表現の自由が優位する 

 (ⅱ)常にプライバシーが優位する 

 (ⅲ)ケース・バイ・ケースである 

 ③最高裁判所は,(ⅲ)の考え方をとっていると思われる。つまり,表現の自由とプラ イバシーのどちらが重いのかは,あらかじめ決まっているわけではない。 

 ④最高裁によれば,基本的には,ある表現物が公共の利害に関する事実ないし社会一 般の正当な関心事である場合には,表現の自由のほうがプライバシーよりも重いと 判断されうる。 

 ⑤この「石に泳ぐ魚」事件では,その小説が「公共の利害に関する事実」を含まないものであったため(さらに X のプライバシー侵害の程度が重大であるため),X さんのプライバシーの ほうが重いと判断された。このことの意味を,次に別の具体例を見ながら確認する。 

3.表現の自由とプライバシーとの衝突――特に小説表現に関して 

1)総説

 ・視点:

①いわゆる「私小説」の伝統が根強い日本においては,小説(や映画)などにおいて, 実在の人物や現実のできごとが素材として取り上げられることがしばしばある。そして,その小説等の登場人物のモデルとされた人にとって,公表して欲しくない私 的な事柄がその小説に含まれている可能性があることは否定できない。そのモデル とされた人は,自らのプライバシーの侵害を理由として,心の傷(=精神的損害) の埋め合わせ(損害賠償・慰謝料)や,その小説の出版差止めを求め,裁判所に訴えを起こすことがある。日本におけるプライバシー裁判は,小説表現に関するもの が多い。 

②このような場合には,作家・出版社の芸術表現の自由(憲法 21 条)と,モデルと された人のプライバシー(憲法 13 条)が衝突するため,その調整が必要となる。 この両者の要請をどのようにおこなうべきか――「比較衡量」――が重要な問題となる。 

③その調整・衡量の際に留意しておくべき点は,上記の通り,次の 2 点である。 

(ⅰ)その表現物が「社会の正当な関心事」である場合には,国民の「知る権利」の 要請が働くため,表現の自由が原則として優位することとなる(「石に泳ぐ魚」のほか, 以下に見る「逆転」事件などは,「社会の正当な関心事」が含まれていないと判断されたため,表現の自由の要請が後退し ている)。 

(ⅱ)他方,その表現物によってもたらされるプライバシー侵害の程度が重大である場合には,プライバシーの保護の要請が優越しうる(たとえ「社会の正当な関心事」が含まれている場合でも,プライバシーが優位することもありうる。以下の「宴のあと」など)。

 <なお,小説表現・モデル小説に特有の問題として……> 

*その表現物が芸術作品であること,あるいは芸術的な価値が高いことを理由として,モデルとさ れた人のプライバシーよりも優先するといえるかどうか,という問題がある。この問題は,芸術 的価値があると評価されている性表現を取り締まることが妥当か,という問題と共通する部分が あるので,後に性表現を書く際にも取り上げる。ちなみに,この点について「石に泳ぐ魚」事件の第二審を担当した東京高等裁判所は次のようにいう(最高裁 は特に触れていない)。「現実に題材を求めた場合も,これを小説的表現に昇華させる過程において,現実との切 断を図り,他者のプライバシーなどを損なわない表現をとることができないはずはない。このような創作上の配 慮をすることなく,小説の公表によって他者の尊厳を傷つけることになれば,その小説の公表は,芸術の名によ っても容認されないのである。文学作品が人間を描き,これが多数の人々に読まれることは,人々の人間存在に ついての認識の内容を豊かなものとする。このことの社会的価値を否定してはならないことはもちろんである。 しかし,上で述べたような配慮をすることなく,小説の公表によって他者の尊厳を傷つけるようなことがあれば, 法的に責任を負うのは当然のことである。」 

*また,モデル小説に固有の問題として,小説の登場人物と実在の人物が同一の人物だと特定 できるか(同定可能性),という問題がある。もしこの同定可能性が否定され,“この小説は 実在の人物とは無関係なことを書いている”と評価されれば,モデルのプライバシー侵害の問題 は生じないことになりうる。この点については,そもそも誰を基準にその同定可能性を判断する のか,という点が議論の対象となっている。もしモデルのことをよく知っている人を基準にすれ ば,同定可能性は容易に肯定される。これに対し,モデルからは遠い一般読者を基準にすれば, モデルが有名人でない限り,同定可能性は否定されることが多くなる。「石に泳ぐ魚」事件で最高 裁は,この点について明確な基準を示しておらず,議論はまだ続いている最中である(百選 67 事件の 解説を参照)。  この点について,この事件の控訴審判決は,モデルに近い人を基準にした。最高裁はこの点には触れなかった が,全体として控訴審の判断はおおむね正しいと述べている判決であり,あるいは控訴審と同じくモデルに近い 人を基準にする立場だと読むこともできなくはない。だが,ある少年犯罪の報道が問題となった事件で,最高裁 は「一般人」を基準にして判断したことがある。この事件は,雑誌「週刊文春」が,ある 18 歳の少年が犯した凶 悪犯罪について,その被害者の親たちの無念さを訴える記事を掲載したところ,その少年が名誉・プライバシー 侵害のほか,少年法 61 条違反を主張して損害賠償を求めて裁判を起こした,というものである。少年法 61 条は, 20 歳未満の者を「少年」と定め,その「少年」が犯した犯罪を報道する際には,氏名・年齢など少年を特定しう るような情報を掲載してはならないと定めている。これを「推知報道」の禁止という。この事件で最高裁は,問 題となった週刊文春の記事は,少年のイニシャル・仮名などを用いており,「不特定多数の一般人」は,その記事 を読んでも少年を特定することはできないと述べ,この記事は少年法 61 条が禁止している推知報道には当たらな いと判断した(そのうえで,この記事は,「社会一般の正当な関心事」ないし「公共の利害に関する事実」を扱っ ているといえる余地があるため,少年の名誉・プライバシーよりも週刊文春の表現の自由が優位する可能性があ ると判断した。最判平成 15・3・4――長良川リンチ殺人事件報道,百選 67 事件)。この最高裁の判断は,あくま でも少年法 61 条の解釈についてであって,モデル小説の同定可能性という問題に直接つながるわけではないが, 参考までにここで紹介しておく。少年事件報道について関心のある方は,上記百選の解説のほか,松井茂記『少 年事件の実名報道は許されないのか』(日本評論社,2000 年)を参照 。

(2)具体的諸問題 

ア 日本初,「プライバシー」権の承認――「宴のあと」事件(東京地判昭和 39・9・28,百選 60 事件) 

イ ノンフィクション小説と前科・実名の公表――「逆転」事件(最判平成 6・2・8,百選 61 事件) 

ウ モデル小説をめぐって――小説「石に泳ぐ魚」事件 

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