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2021年5月15日土曜日

表現の自由《名誉・プライバシー侵害》

今回は「名誉・プライバシー侵害」の諸問題について扱う。なお以下の「百選」は「憲法判例百選Ⅰ[第8版](有斐閣)」を指す。

1.プライバシー侵害的表現  

2.名誉毀損的表現 

・視点:「表現の自由」(憲法 21 条 1 項)と「名誉権」(同 13 条)とが衝突した場合,その解決 のしかたについては,「刑法」という法律が一定の手がかりを示している。 

(1)名誉保護(憲法 13 条)の過剰?――本当のことをいっても名誉毀損になる(刑法 230 条) 

・刑法 230 条 1 項:「公然と事実を指摘し,人の名誉を毀損した者は,その事実の有無にかかわらず,3 年以下 の懲役若しくは禁固又は 50 万円以下の罰金に処する。」 

⇒「その事実の有無にかかわらず」とは,ある人の不名誉な事実を公表した場合,それが本当 であっても嘘であっても名誉毀損は成立する,ということである。たとえば,週刊誌が政 治家の不行跡を暴露する記事を掲載した場合,それがまったくのデタラメであれば名誉毀損になるのは当然であるが,それが本当のことであったとしてもやはり名誉毀損は(いちおう)成立する。 

・視点:①「真実」は常に「虚偽」よりも価値が高いわけではない。

 たとえば,孔子は,親の罪を隠すことが子の正しい道であると説いた。また,キケロは,ナチスに追われてい るユダヤ人(アンネ・フランク)を自宅にかくまっている家主は,その人をナチスに突き出すのではなく,「ユダ ヤ人は家にはいません」というべきであるとした。さらに,癌患者に対して病名を開示しなければならないかと いうと,これもやはりケース・バイ・ケースであり,本人に対して病名を偽ることも許される場合があると考え られている。子供から「大人の世界」を隠すこと,他人の私生活(プライバシー)を知ることを慎むことも,社 会の基本的なモラルに属する。本当のことだからといって言えば良いというものではない。

 ②また,身体の毀損(けが)などは,たいていは治療・入院などによって回復すること が可能であるが,名誉がいったん侵害されると,それを回復するのは相当に困難で ある。名誉が侵害されると,会社や学校,家庭などで快適な暮らしを営むことは不可能となる。刑法 230 条は,このような名誉(憲法 13 条)を最大限に保障しようとしたものである。 

(2)表現の自由(憲法 21 条 1 項)への配慮①――「公益性」・「真実性」(刑法 230 条ノ 2) 

・問題:もっとも,新聞記者が政治家の汚職などの不名誉な事実を記事にする場合,本当のこ とをいっても名誉毀損になるのであれば,安心して記事を書くことができなくなる。 その結果,マス・メディアの「表現の自由」や国民の「知る権利」も阻害されること になる。国民には,そのような記事を通じて政治家の情報を知り,次の選挙のための 判断材料を得る必要がある。そこで設けられたのが,次に示す刑法 230 条ノ 2 である。 

・刑法 230 条ノ 2 第 1 項:「前条第 1 項の行為〔=名誉毀損〕が,①公共の利害に関する事実に係り,かつ, ②その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には,③事実の真否を判断し,真実であることの証明があったときは,これを罰しない。」 

⇒このように,ある記事が他人の名誉を低下させるようなものであったとしても,それが① 公共の利害に関する事実(=社会の正当な関心事)であり,かつ②公益目的で書かれた場合(= 人格攻撃目的ではなく国民に重要な情報を知らせる目的など)には,③その内容が真実であることを証明できれば,名誉毀損は成立しない,とされた。これにより,新聞・テレビなどのメディアは, 政治家の不行跡(悪行)を安心して記事にすることができるようになり,メディアの表現の自由が一歩前進した。

(3)表現の自由への配慮②――「相当性」の法理:「夕刊和歌山時事」事件(最大判昭和 44・6・25, 百選 64 事件) 

・問題:①だが,これによって問題が完全に解消したわけではない。というのは,名誉毀損にならないのは,真実であることを「証明」した場合に限られており,実際の裁判に おいてはこの「証明」が相当に難しいことが多いからである。 

 ②たとえば,政治家が酔っ払ったうえで公道で乱闘騒ぎを起こした,という事実を記 事にするような場合であれば,それを見ていた多くの人が証人となることができる から,それが真実であることの「証明」はさほど難しくない。しかし,たとえば汚 職がらみの事件などの場合には,不適切な金銭の受け渡し行為等は陰で行なわれる ことが通常であるため,これを記事等にした側が「証明」することは相当に困難で ある。そのため,「真実であることの証明があったとき」という言葉を文字どおりに貫けば,記事にできる範囲は相当に限られるということになる。 

 ③そこで最高裁判所は,「夕刊和歌山時事」事件において,メディアの表現の自由にさ らに有利な判断を下し,この問題を解消した。 

・判旨:百選 64 事件の<判旨>を参照

⇒この判旨は,たとえば新聞記者が政治家の悪行を記事にする場合には,結果として真実で あると証明できなくても,真実であると勘違い(誤信・錯誤)したことに相当に理由がある場合(たとえば記者としての職業的良心を尽くし,きちんと取材をした上で書かれたものである場合など)には,名誉毀損は成立しない(そのような場合には犯罪を犯す故意がないから),としたものである。

 以上の話は,「刑法」を勉強した後に帰ってくると,さらに理解が深まるかと思う。ここでは深入りしないが, 念のため,通説的な見解に従って簡単に刑法上のキーワードだけを指摘しておくと,(1)の刑法 230 条は名誉毀損罪の「構成要件」であり,(2)の刑法 230 条ノ 2 は「違法性阻却事由」(表現の自由の行使として違法性がな くなる場合の条件),(3)夕刊和歌山時事事件の相当性の法理は「責任」(責任故意の阻却。違法性阻却事由に関 する錯誤:(2)で定められた違法性阻却事由――真実性による違法性阻却――がないのにあると勘違いした), の問題である。

* なお,夕刊和歌山事件のような「事実」の指摘による名誉毀損の場合とは異なり,「意見」(論評)の公 表による名誉毀損の場合には,真実性の証明の仕方に若干のアレンジが加えられる。すなわち,ある公立 学校の教師の教育方針(通知表を生徒に交付しないことを要求する活動をしていたこと)に対し,その教師を非難するビラ(その教師が「有害無能」であるといったことが書かれていた)を大量にばらまくことが名誉毀損にあたるかが争われた事件で,最高裁判所は次のように述べた。すなわち,その表現物が①公共の利害に関する事実であり,②公益目的がある場合には,③その意見ないし論評の前提としている事実の重要な部分について真実の証明があった時は,④人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての範囲を超えていなければ,表現者は責任を負わない,という(最判平成 9・9・9,百選 66 事件)。これは,アメリカにおける「公正な論評の法理」の影響があるといわれている。 

ちなみに,この判決は,「民事事件」としての名誉毀損(損害賠償)が問題となった事件であり,ここで説明している「刑事事件」としての名誉毀損(刑罰を科する場面)とは異なる。とはいえ,上で示した刑法 230 条の 2 や夕刊和歌山時事事件の判例は,民事事件として名誉毀損が問題となった場合にも同様に 使われている(最判昭和 41・6・23)。

(4)表現の自由への配慮③――「公共の利害に関する事実」の範囲:「月刊ペン」事件 (最判昭和 56・4・16,百選 65 事件) 

⇒「公共の利害に関する事実」には,公務員や公職選挙の候補者などだけでなく,社会に影 響力のある私人の行状が含まれることもある。 

* なお,学説では,「現実の悪意の法理」というアメリカの判例理論を導入すべきだという見解もある。 この法理は,公務員や公人(著名人)に対する名誉毀損的な表現が違法になるのは,次のような場合に限 られるというものである。すなわち,①その表現が虚偽であったことを表現者が知っていたか,あるいは 虚偽であるかどうかを全く気に掛けずに表現した場合,②しかもその記事が虚偽であることを,公務員・ 公人の側が証明できた場合,である。 アメリカでは,表現の自由と名誉権との調整法理として,日本の刑法 230 条ノ 2 のような法律上の明確 な規定がなかったため,この「現実の悪意の法理」が判例の上で発展させられてきた。このアメリカ法理 は,基本的には,その表現の対象となった人物(「公務員ないし公人」か,それとも「私人」か)に着目 するものであるが,日本の法制度(刑法 230 条ノ 2 など)の上では,上記のように,ポイントとなるのは, その表現物の内容(「公共の利害に関する事実」・「社会一般の正当な関心事」か)である。「公人」か「私人」かという点は,この点を判断する際の重要な要素ではあろうが,決定的な要素ではない。また,「公 人」という言葉は,日本の場合には法令用語ではない。他方で日本の場合には,記事が真実であることを 表現者が証明することが建前であるが,アメリカの場合には,記事が虚偽であることを書かれた側(公務 員・公人)が証明する必要がある。その限りではアメリカ法理のほうが,表現の自由にとってプラスになるともいえる。もっとも,アメリカの場合には,「公人か私人か」という点が重要な意味をもつが,日本の法制度では,私人の行動であっても「公共の利害に関する事実」に当てはまれば,表現の自由が優越しうる。その限りでは,日本の法制度のほうが表現の自由に有利に作用しうる場面もあると解する余地もある(ただしアメリカでも日本と同様に「公的関心事」という観点から判断を示した判例もあるが)。 

ともあれ日本の通説的な見解は,日本ではすでに刑法 230 条ノ 2 があることなどを理由に,このアメリ カ理論の直輸入にあまり積極的ではない。

芦部信喜(高橋和之補訂)『憲法』(岩波書店,第 7 版,2019 年)200 頁。アメリカ判例の現実の悪意の法理に ついて関心のある方は,松井茂記『表現の自由と名誉棄損』(有斐閣,2013 年)を参照。

(2)損害賠償(民法 709,710 条)――「宴のあと」事件・「逆転」事件など 

・視点:①ある表現によって名誉・プライバシーを侵害された者は,それによって生じた心の 傷(=精神的損害)の埋め合わせ(=慰謝料)を請求することができる。 

 ②(1)の刑罰の場合と違い,自力で事件を裁判所に持っていくことができる。また, 「名誉」だけでなく「プライバシー」の場合にも使える。 

 ③裁判になった場合,表現者と被害者(書かれた側)のどちらが優位するかは,

④注意点としては,プライバシー侵害の場合は,名誉の場合とは異なり,表現内容が 「真実」かどうかは,結論には影響しないといわれている。名誉の場合には,表現 内容が「真実」であれば表現の自由が勝つこともあるが,プライバシーの場合には, 「真実」だから表現の自由が勝つ,とは言いにくい(むしろ真実であるほうが被害者のダメージは大きいといわれる)。 
 ⑤ただし,この損害賠償は,最大で 100 万円が「相場」だといわれてきた。その一方 で,たとえば大手の週刊誌だと,純粋な売上高は週あたり数億円にのぼるといわれ ている。そのため,出版者としては,100 万の損害賠償さえ覚悟すれば,名誉毀損 的・プライバシー侵害的な記事を掲載することをためらう必要はない,ということ にもなりかねない。そこで,最近の裁判例のなかには,損害賠償の額を高くし,これによって一定の抑止効果を期待しているものもある。 
たとえば,大原麗子事件(東京高判平成 13・7・5)という事件がある。事件の概要は次のとおり。週刊誌「女性自身」は,平成 12 年 3 月 7 日・14 日合併号において,「何が起きた!?大原麗子」,「犬と大げんか」,「トラブル続 出でご近所大パニック」,「隣家を水びたし」,「あの女は雪女」というタイトルのもと,女優の大原麗子氏に関す る記事を掲載した。これに対し大原麗子氏は,名誉毀損を理由として,1000 万円の損害賠償を求めて「女性自身」 を発行している光文社を訴えた。東京高等裁判所は次のように述べて,この 1000 万円という異例の高額な損害賠償を弘文社に命じた。すなわち,①この記事は真実でなく,真実であると信じるに足りる相当の理由もない,② また,光文社は,この記事を載せた週刊誌で相当の利益をあげており,多少の損害賠償金の支払いでは,このよ うな違法行為の自制は期待できない,③したがって,1000 万円の慰謝料の支払いを命ずる,と。 
 ⑥だが,抜本的な解決のためには,法による規制ではなく,メディア自身の職業倫理 の向上と,「覗き見的好奇心」を押さえることができる国民個々人の倫理観の向上が 重要だという考えかたも,有力に主張されている。たとえば,清原対「週刊ポスト」事件(東京高判平成 13・12・26)という事件がある。週刊誌「週刊ポスト」は, 当時読売ジャイアンツに所属していた有名選手である清原和博氏に関する記事を掲載した。そこには,「やっぱり! “虎の穴”自主トレ清原が『金髪ストリップ通い』目撃」とのタイトルのもと,清原氏が,アメリカ合衆 国での自主トレーニングの期間中に,ストリップバーで羽目をはずして飲酒・遊興したことなどが掲載されてい た。これに対して清原氏は,名誉毀損を理由として,「週刊ポスト」を発行している小学館を訴えた。第 1 審の東 京地裁は,この記事が真実であると信じるに足りる相当の理由がないとして,1000 万円という高額の損害賠償を 認めた。この判断を不服として,小学館は東京高裁に訴えた。東京高等裁判所は次のように述べ,1000 万円は損 害賠償として高額過ぎると判断した。①この記事は,肉体改造という当初の目的は早々に挫折したとの事実を, 清原氏を愚弄する表現を用いて,記者が直接に見聞きしたかのように具体的・断定的に報道するものである。そ して,小学館の側は,この記事を掲載するについて,清原氏に対して一切取材をせず,その取材内容はきわめて ずさんなものである。②もっとも,この記事は,清原氏の野球選手としても資質を非難するものではあるが,それ以外の社会生活上の人格を非難するものではない。そのため,損害賠償額は,600万円が相当である。③一部の新聞や週刊誌による人権侵害や私事暴露的記事は目に余るものがあり,これを抑止するためには高額の慰謝料を命ずるのが効果的であることは否定できない。しかしそれは,法律の解釈としては限度がある。また,低俗な覗き見的好奇心からこのような報道を受け入れる社会の民度ないし人権感覚を問題とすべきであるという視点もありうる。したがって,1000 万円もの賠償額を認めるわけにはいかない。日本の損害賠償は,たとえばア メリカとは異なり,あくまでも被害者(書かれた側)の心の傷を埋め合わせるという制 度であり,加害者に対する「懲罰」という意味合いは基本的に含まれていない。法 ができることには限度がある,ということである(「法は良心を義務付けない」,「良心を義務付けるの は倫理だ」,法の「外面性」と倫理の「内面性」などといわれる)。
(3)謝罪広告(民法 723 条)・反論文の掲載 ――サンケイ新聞事件(最判昭和 62・4・24,百選 76 事件)
(4)差止め(参照,民事保全法 23 条 2 項) 

・視点:①損害賠償は,名誉・プライバシーに対する侵害が実際に生じたあと,その埋め合わ せを金銭で行なう,というものである(事後規制・事後抑制)。 

 ②だが,被害者の救済のためには,そのような名誉に触れる記事の流通をあらかじめ ストップしたほうが,より直接的・効果的である。そのための制度として,裁判所 による出版等の「差止め」がある。 

 ③もっとも,このような事前の「差止め」は,表現者の側からしてみれば,事後の損 害賠償に比べ,「表現の自由」に対する規制の度合いがより大きい。国民としても, ある情報が自分の手にまったく届かなくなってしまうわけであるから,「知る権利」 の侵害の度合いも大きいということになる。そのため,どのような場合にこの差止めが認められるかについては,慎重な考察が必要となる。 

ア 名誉毀損と差止め――北方ジャーナル事件(最大判昭和 61・6・11,百選 68 事件) 

・争点:裁判所が雑誌の出版を差し止めることは,「検閲」(憲法 21 条 2 項)にあたり許されない のではないか,仮に検閲にあたらないとしても,出版差止めは「事前抑制」であり, 容易に認めてはならないのではないか。 

・判旨:(⇒百選を参照のこと) 

・分析:①「検閲」(憲法 21 条 2 項)の定義は,税関検査事件(百選 69 事件)この事件は,ある日本人が欧米からポルノなどを注文し郵送してもらって,税関にひっかかった,というもの。 その注文者は,この税関検査が検閲にあたり許されないと主張した。裁判所はこの事件で,憲法が禁止する検閲 を次のように定義した。すなわち,検閲とは「行政権が主体となって,その思想内容等の表現物を対象とし,その全部又は一部の発表の禁止を目的として,対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に,発表前にその内容を審査した上,不適当と認めるものの発表を禁止することをその特質として備えるものを指す」((最大判昭和 59・12・12,百選 62 事件))。が示しており,裁判所による差止めは検閲にはあたらないとした。なお,(現在では法改正がなされているが)裁 判所による仮処分は,特にこの事件のように当事者,とりわけ表現者の側の言い 分を聞く手続き(債務者審尋)を経ないで行われるような場合には,司法権というよりも行政権の行使(行政処分)に近いという指摘も有力であることには注意(その意味 で,差止めは裁判所が行う作用であり行政権ではないから検閲ではない,と単純に言えるかどうかについては,議論の余地もある)。 

 ②そして,裁判所による差止めは,検閲ではないとしても,損害賠償(事後規制) とは異なり,表現物の流通をストップさせる重大な処分である。この点について 最高裁は,こうした「事前抑制」については,「思想の自由市場」への影響が大きいことや,憲法 21 条 2 項および同 1 項の双方の趣旨に照らし,「厳格かつ明確な要件」が必要だとした。 

 ③そのうえで,差止が認められる場合の要件(不真実・公益目的欠如の明白性,重大にして著しく回復 困難な損害)を示している。ただしこの要件は, 

  (a)あくまでも「公共の利害に関する事実」に関わる表現物を差止める場合の要件であること(刑法 230 条の 2 に由来) 

  (b)「原則」として差止めが禁止されるのも,この「公共の利害に関する事実」 に関する表現物だからであり,事前抑制だからという一般的な理由ではないこと 

  (c名誉毀損を理由とする差止めの要件であること

という限定がかかっており,その射程や判例の読み方には,よくよく注意する必要がある。

イ プライバシー侵害と差止め――「石に泳ぐ魚」事件→石に泳ぐ魚事件の詳細はこちらで

・分析:①プライバシー侵害を理由とする出版差止が認められる場合の要件について,「石に泳ぐ魚」事件の最高裁判決は明確に語らなかった。 

 ②なお,この事件では,プライバシー侵害だけでなく名誉毀損(や名誉感情)もあわせて 問題になっていた。また,「北方ジャーナル」事件判決は,「公共の利害に関する事 実」を含む表現物を差し止めるための要件を提示したものであるのに対し,この「石に泳ぐ魚」事件では,「公共の利害に関する事実」を含まない表現物の差止めが問題 となった点にも注意のこと。 

 ③この二つの判例の関係を考察した重要な下級審裁判例として,「週刊文春」事件決定 (東京高決平成 16・3・31)がある。

雑誌・週刊文春が,衆議院議員の田中真紀子氏の長女 X(政治家ではない)の離婚に関する記事を掲載し,X がプライバシーの侵害を理由に出版差止めを求めた事件。東京地裁・東京高裁ともに,この記事は,①公共の利 害に関する事実を含まないこと,②公益目的の欠如が明白であること,③重大で回復困難な損害を X に与えること,などを理由に,出版差止めを認めた。この差止めの要件①~③は,「北方ジャーナル」と「石に泳ぐ魚」の最 高裁判決を参考に,特にプライバシー侵害という点にも着目しながら。東京地裁・高裁が導きだしたものである。 なお「北方ジャーナル」とは違い「真実性」の要件が外れているのは,問題となった権利が名誉ではなくプライ バシーだから(真実であるほうが傷つく)である。ただし細かく言うと,この要件で本当に良いのかどうかとい う問題も残っている。

*最新判例――「忘れられる権利(?)」(最決平成 29・1・31,百選 63 事件) 

・分析:①検索事業者の Google に対し,自己の過去の犯罪歴に関する記事等が掲載されたウェブ サイトの URL 等を,検索結果から削除することを求めた事件において,最高裁は, 

(A)検索事業者の表現の自由と, 

(B)前科歴を有する者の人格権・人格的利益とを 

比較較量」して判断するとした。 

②その衡量の際,情報の提供行為が違法になる(削除を求めることができる)のは,(B)人格権・ 人格的利益が(A)表現の自由に優越することが「明らか」な場合だという基準を定 立した。表現の自由の側に若干有利な基準になっているようにも読める。 

③その理由について判例は詳しく述べていないため,断定的なことは述べられず,推測 レベルにとどまらざるを得ないが,いくつかの例として次のような可能性があげられうる。すなわち, 

 ・「情報流通の基盤」としての検索事業者の表現の自由を重く見ている 

・いったん掲載された記事の削除等は,純粋な事前抑制ではないが,損害賠償のような 事後規制とも違い,表現物の流通をストップさせることになるため,表現の自由への制約の程度が大きいという判断が前提になっている 

・削除を行うべきかどうかは,第一次的には国家権力ではなく,私人である検索事業者 の判断によるものとなる場合もあり,裁判所による確定判決がない段階で,法の専門 家ではない検察事業者の判断で,いわば私的な検閲として削除をすべき要請が出てく るのは,プライバシー等の侵害が「明らか」な事案に限定すべきだとも解されること 

等々である。 

なお,最後の点は,たとえばインターネット上の掲示板や SNS 等での不適切な書き込みに対し,プロバイダや掲示板の管理者 等の私人が削除を行うべきなのかどうかという問題のなかで,同様に議論されることもある。) 

 ④なお,よくよく考えてみると,Google が提供している検索サービスは,Google 自身の 表現行為といえるのか,これが表現の自由として保障されるのか,議論の余地もあり うる。この点,最高裁は,Google の方針に基づいた検索結果が表示されるという点は Google 自身の表現行為であり,また Google は,インターネットを利用する人にとっ て,自由な情報流通を可能にする場を作り出しているという点でも表現の自由として保障されるという。 

⑤そして,この事件では,削除等を求めることはできない((b)の負け)という結論を出す 際,「公共の利害に関する事実」という視点が登場している。 

⑥なお,こうしたネット上での自己の犯罪歴を消してもらう権利は,EU 法等に由来する 「忘れられる権利」という言葉で呼ばれることもある。だが最高裁は,この言葉を用いず,「逆転」事件判決などを参考に,これまでの判例上の名誉・プライバシーの中の一つとして扱っている。

(ちなみに,この事件で記事の削除等を求めている人は,国を相手にプライバシー権をもちだしているわけではなく,私人であ る Google を相手に主張しているため,ここで引用されているプライバシー判例は,憲法上のプライバシーではなく,私法(民法 等)上のプライバシーが,直接は関わる事案である。)

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