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2022年2月2日水曜日

参考判例集についての訂正

 このブログで取り扱っている判例集,すなわち,「百選」は「憲法判例百選Ⅰ[第8版](有斐閣)」であると随所(おもに各記事の冒頭)で述べたが,正しくは,「憲法判例百選Ⅰ[第7版](有斐閣)」である。

このブログでは,以後,訂正がない限り,その判例集を取り扱い,随所で判例番号を指摘することとする。

職業選択の自由 その2

 

4.三段階審査・比例原則

 

・内容:①アメリカ由来の違憲審査基準論(二重の基準論に対しては,以前から学説上様々な批判がなされていたが,特に最近は,日本の法制度・判例法理に適合する理論を構築するという観点から,ドイツ由来の三段階審査・比例原則に注目が集まっている。大枠はこのブログでも述べているが,また薬事法判決を少し詳しく分析しつつ,復習と発展のお話をしておく。

②ドイツ判例由来の三段階審査とは,ある法律が憲法違反か否かを判断する際,次の段階を追って審査するものである。

 

(1)保護領域(保護範囲):法律の規制の対象となった個人の行為・利益が,憲法上保障されているといえるか

(2)制約(介入):その個人の利益(憲法上の権利)が国家の行為によって侵害されているといえるか

(3)正当化:その国家による介入は憲法上許容されるか

     

    ③(1)保護領域では,その事件はそもそも憲法の何条の問題なのか,という点が問題となる。たとえば,営利的言論は,表現の自由=211項の問題なのか,それとも職業の自由=221項の問題なのか,が争点となる場面を思い出してほしい。また,集会の自由は,国・自治体の施設の利用を請求する権利(請求権・社会権)まで含んでいるのか,という点が問題となったことを思い出してほしい。保護領域とは,それぞれの憲法の条文の射程範囲が問題になる場面のことを指している。

    ④(2)の介入(制約では,その事件では憲法上の権利が制約されているといえるのか,という点が問題となる。たとえば,「君が代」のピアノ伴奏を命じる職務命令は,音楽の先生の思想・良心の自由19条を制約しないと判断した判例などを思い出してほしい。

    ⑤そして,特に(3)正当化の段階では,ドイツの判例法理では,「形式的正当化」と「実質的正当化」という二つの場面に分けられる。

⑥まず,「形式的正当化」の段階では,主に「その事件で問題となった憲法上の権利制約には,明確な法律上の根拠があるか」(法律の留保)という点が要求される。日本の話としては,明確性の原則」は,この「形式的正当化」の段階に位置づけることも可能である[1]。不明確かどうかは,通常の判断能力を有する一般人の理解徳島市公安条例事件)に照らして判断される(ただしその際,法令が不明確であるにとどまらず,規制範囲が過度に広範だという問題も含まれ,その不明確・広範な法令の文言を合憲限定解釈するという方向に議論を進める際には,次の⑦の「実質的正当化」(目的・手段審査)も同時に行われることがある。

⑦次に,法律の内容自体の正当性である「実質的正当化」が問題となる。この段階では,ドイツ判例では「比例原則」が用いられる。比例原則とは次の4点を審査するもの。

 

a)目的の正当性(基本権制約の目的(立法目的)は,正当(合憲)か

b)手段の適合性(≒合理性,合理的関連性その目的達成のために立法者が用いた手段は,その目的達成に役に立つかどうか。比喩的にいえば,「何の役にも立たず,しかも副作用しかない(人権を傷つける)薬を投入してはならない」

c)手段の必要性(LRA,必要最小限度性その立法者が用いた手段と同じ程度に立法目的を達成し,しかも個人の人権を侵害する程度がより低い他の手段はないのかどうか。比喩的にいえば,「効用が同じ二つの薬があれば,副作用が少ないほうを選択すべきだ」

d)手段の相当性(均衡性,狭義の比例性,衡量その手段投入によって得られる利益(立法目的)と,失われる利益(個人の人権)との間に釣り合いがとれているかどうか。比喩的にいえば,「副作用よりも効用のほうが上回る薬を投入すべきだ」

    

⑧ドイツの判例は,自由権を制限する法律が憲法違反かどうかを判断する際,すべての事件で,この比例原則の(a)~(d)の4つをすべて適用して判断する。その際,事件の性質(権利の重要性や規制の強さなど)に着目しつつ,これらの4つについて,どれだけ立法事実に踏み込んで審査するか(審査密度,審査の厳格度),厳しく審査するか,それとも緩やかに審査するか,を使い分けている。

    ⑨日本の判例法理も,実はこのドイツ型の比例原則に近い発想なのではないか,という問題意識から,最近,この比例原則が注目を集めている。この比例原則が,日本の従来の通説たる二重の基準論・違憲審査基準論と対立する考え方なのかどうか,という点をめぐり,学説では議論が続いている最中である[2]

 

 

5.日本の薬事法判決の再読と分析

 

日本の最高裁は,基本的に「比較衡量」・「比例原則」を軸に,部分的に二重の基準論にも触れつつ判断するものといえる。たとえば,薬事法判決の立論は次のようなものであった

 

(1)職業の自由は,「人格」に関わる重要な権利である(ドイツ的「人格権」論)。

(2)もっとも職業は「社会的相互関連性」が高いため,経済的自由権は精神的自由に比べ規制の必要が強い(「二重の基準論」的)。

(3)職業は多様であり,その規制の目的も,消極的なもの(国民の生命・健康を守るためのもの)から積極的なもの(社会的弱者を守るためのもの)まで様々であり,規制の態様も,事前的なもの(許可制・届出制など)から事後的なもの(罰則など)まで様々であるため,その規制が合憲かどうかは,こういった規制の目的,規制の態様(強さ),規制を受ける職業の自由の性質など,様々な事情を比較衡量して判断する(比較衡量論)。

(4)この衡量は立法府の任務であるため,裁判所としては,

(ア)規制の目的公共の福祉に合致する場合には(目的自体が違憲ではなく正当),

(イ)規制の手段が「必要性・合理性」を有しているかどうか

については,基本的に,立法府の判断を尊重しつつ審査する(「立法裁量」論)。ただし,この立法裁量は,事案の性質によって広い場合と狭い場合がある(「事の性質」・「審査密度」)。

(5)この事件で問題となった許可制という規制の態様は,非常に強度である。

(ア)規制の目的は,単に「公共の福祉に合致」する(正当)だけではなく,「重要」である必要がある(事の性質①規制の態様論:基準が少し厳格に)。

(6)また,この事件のように,積極目的規制ではなく消極目的規制が問題となった場合,

(イ)規制の手段が「必要性・合理性」をもっているかどうかを判断する際には,(x)単に手段が目的のために役立つという点(合理的関連性)だけでなく(「規制の必要がない」というだけでは足りない),(y)「より緩やかな手段が他にないかどうか」(必要最小限度。LRA)や,その規制を必要とする立法事実について,裁判所は立ち入って審査する(事の性質②規制の目的論:基準がさらに厳格に)。

(7)この基準を当てはめてみると,薬局の開設を許可制にすること自体は合憲である。

(8)他方で,許可条件としての距離制限については,形式的には職業の遂行に対する規制であるが,開業場所の選択は,実質的には職業の選択そのものに影響する強度の規制であるため,やはり上記(5)(6)と同様の厳しい基準で判断する(なお学説では,「客観的条件」か「主観的条件」かという観点から規制の厳しさを分類する見解もあり,一つの説明方法として授業でも触れたが,この点は判決文の中では明言されておらず,薬事法判決が語ったのは,あくまでも職業「選択」に関わる規制が強度だという点のみである)。そうすると,

   (ア)目的(国民の健康を守るという消極目的規制)⇒「重要」

(イ)手段(距離制限)⇒(x)距離制限という手段を採らないと「競争の激化→経営の不安低→法規違反」が生じるという立法者の判断(立法事実)には,十分な合理的な理由がない(そもそも目的と手段との間に合理的関連性すらない)。(y)また,事後の監督強化という,距離制限より制限的でない手段(LRA)でも,立法目的を十分に達成できる。

 

・視点:①このように薬事法判決は,基本的に比較衡量論を出発点にしつつ(3),どういう場合に法律上の規制が憲法違反になるのかを判断する基準について,法律の「目的・手段」を審査するという枠組みの中で,事案の性質で基準の厳しさを変える(4)と言っている。その際,規制の目的(6)だけでなく,規制の態様(5)も加味して審査している。“重要な権利に対する重大な制約だから,裁判所は厳しく審査する”というドイツ型の比例原則と同様の発想を読み取ることもできる。

    ②また,たとえば酒類販売免許制事件百選94事件)で最高裁は,規制の目的は「酒税の確保」だとしているが,これが消極目的なのか積極目的なのかはよく分からないところであり,最高裁も,どちらだとも明言せず,比較的緩やかな基準を採用して合憲にしている。しかしその際,最高裁は,上記の薬事法判決を先例として引用している。どの部分を先例として引用しているのかというと,それは((6)規制目的二分論のところではなく(1)~(4)までの部分(比較衡量論,立法裁量論,事の性質論である。そして,酒類販売免許制事件での「事の性質」として,(5)まず「規制の態様」について,許可制は確かに職業選択そのものへの強度な規制であるが,(6)他方で「酒税の確保」のような「租税」に関わる目的のための規制の是非は,裁判所が踏み込めないという観点から,比較的緩やかな基準が採用されている。

    ③この薬事法判決や,後の判例の基本的な思考枠組は,経済的自由だけでなく,すべての憲法上の権利の制約が問題となった場面で,応用可能な思考かと思われる。それは,何度もお話しているが,次のような思考様式である。

 

比較衡量をして結論を出す。この比較をする際,どういう場合にどちらが勝つかを判断する基準として,規制の「目的・手段」(「公共の福祉に合致する目的のために必要かつ合理的な手段か」)を審査する。その際,(x)権利の性質・(y)規制の態様・(z)規制の目的等における立法裁量の尊重の必要性,に着目して基準の厳格度を決める

つまり,(x)重要な権利に対する(y)重大な制約があり,(z)特に立法裁量を尊重すべき事情がない場合,規制の目的はかなり重要なものである必要があり,また,手段の「必要性・合理性」も厳しく審査する。

 

 

6.二重の基準論・違憲審査基準論(アメリカ型の従来の通説)との関係・異同

 

・視点:①なお,上記の(x)権利の性質によって基準の厳しさを変えるという発想は,従来の二重の基準論と必ずしも矛盾するものではないともいえる(まさに表現の自由⇒厳格な基準,経済的自由⇒緩やかな基準,という二重の基準論の基本的な発想)。また,(y)規制の態様(強さ)に着目して審査基準を変えるという発想も,これまでの学説上の二重の基準論のなかにも見られる(たとえば表現の自由の「表現内容規制」⇒厳格な基準,「内容中立規制」⇒中間的な基準,という区分論など[3]。さらに,そもそも(z)規制目的に注目する理論(規制目的二分論)は,判例というよりもむしろ学説の方が,(若干判例法理を誤解した上で)積極的に受け入れてきたものである。この意味で,日本の憲法学説も,(無意識のレベルでは)上記の発想を受け入れているとも言える。また,従来のアメリカ型の二重の基準論の側も,ドイツ型三段階審査のいう(1)保護領域・(2)制約という二つの段階を,審査基準の設定の前に自覚的に論じるべきだという点は,広く受け入れているように見える。

②そうすると,アメリカ型とドイツ型の違いは,(3)正当化の段階で使う基準(およびその基準の設定の仕方)にある。このブログでも随所で触れたが,アメリカ型(というよりもアメリカ判例を独自に体系化した日本の従来の通説)の基準論は,次の4つのうち,事案の性質に応じてどれか1つを選択するというものである。

 

目的

手段

最も厳格な基準

ぜひとも必要,必要不可欠,

やむにやまれぬ利益

ぜひとも必要な最小限度

(このほか明白かつ現在の危険の基準など)

中間的な基準

 

重要

・他の選びうる手段がない(精神的自由の場合=LRAの基準,経済的自由の場合=厳格な合理性の基準[4]

・目的と手段の実質的関連性

緩やかな基準

正当(違憲ではない)

・目的と手段の合理的関連性(合理性の基準)

最も緩やかな基準

明らかに不当とはいえない

明らかに不合理とは言えない(明白性の基準)

 






③日本の判例は,基本的に「比較衡量」という大枠の下で,「公共の福祉に合致する目的のため必要かつ合理的(+相当)な手段か」という基準をすべての事件で適用し,そして事案の性質に応じて,目的を厳しく/緩やかに審査したり,手段の合理性(合理的関連性)・必要性(LRA)(・場合によっては相当性)を厳しく/緩やかに審査したりしている。この点でドイツ型の比例原則(上記.⑦⑧)に近い。

④ただし日本の判例は,具体的にどのくらいの厳しさで審査したのかを,はっきり示さないことが多く,読み手がいろいろと「推測」せざるを得ない状況である。こうした判例法理の“ブラックボックス”状態を批判するために,従来の学説は,アメリカ判例を参考にしつつ,明確な基準を“あらかじめ”設定することを要求してきた。これの延長で,三段階審査に乗りつつ,(なぜか)正当化の段階ではアメリカ型にするという「融合」路線も提唱されている。だが,こうした判例への“外在的”な批判理論ではなく[5]判例法理に適合的な理論(ドグマーティク)を構築するという観点から,ドイツ型を参考にし,その際に多くの判例があいまいにしている点,すなわち,どのくらいの厳格度で審査したのか,その厳格度を決める理由は何だったのか,という点を明示すべきだというかたちで,判例法理の再構成を目指すという方向が,単なる判例の追随(判例実証主義)に陥らずに理論と実務と架橋する,適切な方向性ではないかと思われる。

 

応用①――「相当性」(均衡性,狭義の比例性,衡量)の位置づけ

 

判例では時々,手段審査の際,「必要性・合理性」を審査した後,さらに手段の「相当性」(過剰な手段ではないこと,得られる利益と失われる利益に釣り合い,均衡性,衡量)を独立に審査することもある(京都府学連事件(最大判昭和441224:百選16事件)指紋押捺事件(最判平成71215:百選2事件)など)。

他方で,薬事法判決のように,この「相当性」について,判断枠組みでは特に明示的には触れていないが,手段の合理性(適合性)・必要性(LRA)の審査の中で,実質的に相当性・衡量が組み込まれているように読めるものも多くある(宗教法人解散命令事件岐阜県青少年保護育成条例事件)。判決文自体から読み取りづらい部分だが,本家のドイツ型の比例原則に従えば,手段審査の際,手段の相当性もあわせて論じることになろう医薬品ネット販売事件も参照)。ドイツのまねをする必要があるかどうかは別にしても,相当性もいわばダメ押し的・補足的に念のため論じておくルートも,念頭に置いておくとよい。特にアメリカ型の中間的なLRAの基準や厳格な合理性の基準を使った場合,「他に手段はないのか」という点に審査の観点が集中するが,もし他に手段がないという場合でも,その手段が過剰な規制を人権に加えているのではないかというバランス感覚=相当性を今一度審査することは,厳密になることもある[6]

応用――複数の立法目的

 

薬事法事件で最高裁は,距離制限の目的について,①不良医薬品の供給の危険の防止,②無薬局地域・過疎薬局地域への薬局の開設等を間接的に促す,という二点を挙げて,①を主目的,②を副次的目的と位置づけたうえで,①・②それぞれについて目的・手段審査を行い,違憲判断を示している(検討の中心は①で,②はごく簡単に処理)。複数の目的を認定した場合には,それぞれについて目的・手段審査を分析的に行うことになる。

仮に,ある手段が一方の目的との関係では合憲,他方の目的の関係では違憲,となった場合,“一つでも合憲になる目的があるのであれば,法令自体は合憲”になるのが通例であろう。その際,“違憲とされた目的の部分が法令の解釈として可分的であり,かつ残りの部分の大半は合憲的に適用できる”ような場合は,その違憲の部分だけを除去するような合憲限定解釈をするか,違憲の部分のみを違憲にするという処理になるであろう。不可分であれば,法令全体は合憲としたうえで,その違憲的な目的で適用してはならないと処理することになろう。他方で,“違憲とされた目的との関係で規制が許されないとすれば,その法令が合憲的に適用できる場面はほとんどゼロに近い”という場合には,法令全体を違憲にするという選択肢もありうる。

 

注意点

①以上の話は「自由権」が問題となった時の判断枠組みのお話であり,平等や社会権が問題となったときは,また別の頭の使い方が必要になる。

②また,「合憲限定解釈」のルートを採用した場合には,法令の目的・手段型の審査には修正も必要なので,その点にも注意(㋐法令の目的・手段審査の枠内で,法令の目的・手段において過剰な部分を取り除く解釈を行う憲法解釈先行型の判例として,泉佐野市民会館事件よど号事件がある。他方,㋑法令の文言・趣旨目的・体系に照らした限定解釈をし,その限定解釈した法令が合憲であることを目的・手段審査で確認する法令解釈先行型広島市暴走族条例事件なども参照)。



[1] 憲法上の権利を制約する場合には,行政の現場の判断ではなく,明確な法律の根拠が必要だという話は,たとえば刑罰を科す場合には「罪刑法定主義」(31条),税金を課す場合には「租税法律主義」(84条),財産権の内容への規律の場合には憲法292項など,個別に書かれている部分もある。また,表現の自由(憲法211項)の規制立法は明確であるべきだともいわれる。さらに,この明確な法律の根拠の要求は,憲法上の自由を制限する際の全般に当てはまる考え方(「法原則」:旭川市健康保険条例事件百選196事件)だともいえる。

[2] 三段階審査・比例原則については,小山剛『「憲法上の権利」の作法』(尚学社,第3版,2016年),安西文雄ほか『憲法学読本』(有斐閣,第2版,2014年)76頁以下,渡辺康行ほか『憲法Ⅰ(基本権)』(日本評論社,2016年),高橋和之『体系 憲法訴訟』(有斐閣,2017年)。三段階審査を日本で最初に体系的に紹介したのは,松本和彦『基本権保障の憲法理論』(大阪大学出版会,2001年)。比例原則について,物好きな人は,柴田憲司「憲法上の比例原則について(1)(2・完)」法学新報116910183頁,1161112号(2010年)185頁,同「比例原則と目的審査」同12012号(2013年)201頁。同「制度的権利と目的手段審査」論究ジュリスト29号(2019年)。最新の包括的な研究書としては,石川健治ほか編『憲法訴訟の十字路』(弘文堂,2019年)。

[3] 基準の厳格度を左右するのは権利の性質のみであり,規制の態様は考慮すべきではないという学説もある。

[4] LRAの基準(表現の自由のところで出てきた基準)も厳格な合理性の基準(薬事法判決の示した基準)も,「他の選びうる手段があるかどうかを審査する」という言い回しはよく似ているが,基本的な発想の違いとして,特にアメリカ型の審査基準論に特徴的な発想として「違憲性の推定」と「合憲性の推定」が関係しているといわれる。すなわち,表現の自由のような精神的自由権に対する規制は,それが違憲であることが原則であり,合憲になるためには比較的厳しい基準をパスしなければならない,という発想(違憲性の推定)がある。精神的自由の際に用いられるLRAの基準は,この違憲性の推定をくつがえせるほどに,規制を設けた立法者の説明に説得力があるかどうかを審査するものである。これに対し,経済的自由に対する規制には違憲性の推定は働かず,経済的自由への規制は必要性・合理性があるのだという合憲性の推定が及ぶため,基本的には緩やかな基準,すなわち「合理性の基準」で審査する。ただし,経済的自由の場合でも,薬事法の事件のように,一定の事案については、裁判所が厳しく審査することもある。その場合でも,経済的自由の事件である以上,合憲性の推定は及ぶため,「合理性の基準」を少し厳しくした,という意味で「厳格な合理性の基準」という名前がついている。そのため,精神的自由が問題となった事件で「厳格な合理性の基準」という表記をするのは,避けたほうが無難かと思われる。

[5] アメリカ型の審査基準が日本法に適合せず,判例上も受容されていない理由として,何よりもまず,上記の表の「基準」は「法」そのものではなく,制定法主義国における条文解釈の結果(人権条項の意味)としての性格をもたないことが影響していると考えられる。前掲注1の柴田論文,『憲法訴訟の十字路』の石川論文を参照。

[6] これは厳密には,ドイツ判例では,目的審査は基本的に「正当」かどうかという緩やかな審査のみが行われる点が影響している。たとえば,“国家秘密を守るために新聞記者の電話はすべて盗聴する”という法律ができたとする(ないとは思うが)。この法律は,新聞記者の通信の秘密(憲法212項後段)や表現の自由(211項)を侵害する違憲のものではないかが問題となる。この場合,ドイツ型の比例原則で厳格な審査を行うとすると,まず,①その法律の目的(国家秘密の保護)は正当であり,②盗聴するという手段はその目的のために役に立ち(適合性(合理的関連性)がある),③さらに,立法目的(国家秘密の保護)を盗聴と同じ程度に達成し,通信の秘密・表現の自由にとってより制限的でない手段というものも存在しないため,必要性(LRA)の審査もパスする。「盗聴より制限的でない」手段はたくさんがあるが,しかしそれらの登頂よりも穏当な手段は,盗聴と「同程度に目的(国家秘密の保護)を達成できる」ものではないであろう。しかしこのような場合でも,④その盗聴という手段によって得られる利益(国家秘密の保護)と,失われる利益(通信の秘密・表現の自由)の重大性とのバランス(相当性)を考えなければならない,ということになる。

 他方,日本のアメリカ型の違憲審査基準論は,この「相当性」ないし「比較衡量」という考えにずっと批判的であり,これをできるだけ使わないで済むように審査基準を作ってきた。上述のアメリカ型の基準の図に「相当性」が出てこないのは,この点も関係している。それでは,相当性(均衡性・衡量)を全く考慮していないのかというと,そうではなく,目的審査の際,目的の重要度に差をつける,というかたちで,従来型の審査基準論は対応してきた。すなわち,厳しめな基準を使うときは,目的が「重要」ないし「ぜひとも必要」でなければならない,とされているが,これはつまり,問題となった規制目的(国家秘密の保護)は,そもそも憲法上の権利(表現の自由・通信の秘密)の制約を正当化するに足りる「重要」度や「必要」性を本当に持っているのか,というかたちで審査することを意味する。目的審査の際,目的の重要度を考慮に入れることで,いわば得られる利益(規制目的)と失われる利益(人権)とのバランスを考慮している。だから理論的には,最後にもう一度,相当性を改めて審査する必要はないと主張される。高橋・前掲注2。だが,こうした「隠された衡量」は,直覚主義(直感で答えを出す)の危険があり,衡量を行っている以上,それを正面に前景化すべきではないかと思われる。

 なお実は,目的審査については基本的に緩やかな「正当性」しか審査しないドイツ判例も,なぜか職業の自由の時だけは,厳しめの基準を採用するときは目的の「重要」性を審査する。そのうえで最後に「相当性」(均衡性・衡量)もあわせて審査する。そうすると,目的の重要度を審査することとの関係が,理論的には不明確にもなる。実際,ドイツでもそういう批判が出ている。柴田・前掲論文(比例原則と目的審査)参照。

行政活動の基準(行政法総論)

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